NHK大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』が2025年1月から放送中です。10月も下旬となり、物語はいよいよ終盤へ。寛政の改革を推し進める松平定信(井上祐貴)と、出版統制に苦しむ蔦屋重三郎(横浜流星)の対立がクライマックスを迎えています。
松平定信が断行した寛政の改革
松平定信は、徳川吉宗の孫にあたる人物です。田沼意次の失脚後、天明7年(1787年)に老中首座に就任し、寛政の改革を断行しました。
祖父・吉宗が行った享保の改革を手本に、質素倹約を徹底。財政を立て直し、失墜していた江戸幕府の権威を取り戻そうとしました。
厳格すぎた改革の内容
松平定信は農民から旗本、大奥にいたるまで倹約を強制し、贅沢を厳しく禁じました。風俗を乱す好色本や洒落本、政治批判を含む黄表紙などの出版物を禁止し、新刊本には作者と版元の実名を入れるよう義務付けます。
さらに朱子学以外の学問を禁じる思想統制を実施し、幕府に忠実な人材を育成しようとしました。町方掛という秘密警察のような存在を置き、変装して江戸中を監視。倹約に背く者や改革批判を言う者を探し出す恐怖政治を敷いたのです。
蔦屋重三郎も被害を受けた
大河ドラマの主人公・蔦屋重三郎も、この出版統制の被害を受けました。黄表紙や洒落本を出版し続けたことで奉行所に捕らえられ、寛政3年(1791年)に財産の半分を没収される「身上半減」の罰を受けています。
喜多川歌麿、山東京伝といったベストセラー作家や絵師たちも、次々と規制の対象となりました。
わずか6年で終わった改革
松平定信の寛政の改革は、わずか6年で終わりました。寛政5年(1793年)、定信は老中・将軍補佐を解任されます。
「白河の清きに魚も棲みかねて もとの濁りの田沼恋しき」という有名な狂歌が象徴するように、武士も民衆も窮屈を強いられて反発したのです。
当ブログ「恋もマネジメント(恋マネ)」から見た失敗の理由
ドラッカーは「われわれの顧客は誰か」を問うことの重要性を説きました。松平定信は、幕府の権威を顧客だと考え、江戸に暮らす人々を顧客と見ませんでした。将軍にも厳しい制限をかけ、天皇の願いも却下する。この問いを間違えたことが、改革失敗の最大の原因です。
田沼時代を経て、裕福になった町人たちは娯楽や文化を求めていました。しかし松平定信は祖父・吉宗の時代への回帰を目指し、出版統制で娯楽を奪い、倹約令で文化を抑圧しました。変化した市場のニーズを完全に無視した改革でした。
対照的に、蔦屋重三郎は裕福になった町人たちが求める娯楽、知的刺激、新しい情報という潜在ニーズを正確に捉えていました。出版統制で財産を失っても、顧客のために作品を生み出し続けました。この姿勢こそが、彼を江戸のメディア王にしたのです。
『べらぼう』は、顧客を見誤った改革者と、顧客を理解したプロデューサーの対比を描いています。

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